●市場のはじまり
「市場」のはじまりは、「市」と呼ばれる物々交換の場でした。これを制度化したものが、今日の「市場」です。江戸に幕府を開いた徳川家康は、江戸城内で働く多くの人々の食事を用意するため、大坂の佃村から漁師たちを呼び寄せて幕府に魚を納めさせました。一方、漁師たちは獲れた魚の残りを日本橋のたもとで売るようになり、これが魚河岸(魚市場)と呼ばれていたことから、現在の東京都の市場のはじまりとされています。ほぼ同じ頃に青果市場も自然発生的に形成されたと伝えられていて、江戸八辻ヶ原(現在の神田須田町あたり)ではじまった青果市場を基として発展してきました。

江戸時代の日本橋の魚河岸

江戸時代中期の魚市場
●明治時代の市場
明治維新による社会情勢や経済事情の急変が原因で市場が一時衰えたため、当時の東京府は、「魚鳥並青物市場及問屋仲買営業例規並税則」を公布しました。この例規は、市場の数と位置を限定するとともに問屋・仲買業者の数を制限し、その組合を結成することを命令したほか、免許料および府税を徴収するというもの。これによって東京府の許可のもとに民営の市場が開設され、庶民の食生活の安定に貢献していましたが、大正12年9月に関東大震災が発生したため、東京の民営20数市場は大きな被害を受けてしまいました。

明治25年当時の神田多町の青物市場(青果市場)

明治44年の神田多町の青物市場(青果市場)
●近代の市場
昭和10年には築地、神田、江東の3市場が開設されたほか、荏原、豊島、足立、大森、食肉などの市場も次々と業務を開始。中央卸売市場の開設が生鮮食料品の流通に及ぼした効果は、「公正な価格の決定と取引の明朗化」と「価格と品質の安定」そして「市場内の良好な衛生状態」の3つだったといわれています。その後、高度経済成長期における都市人口の増加や、流通環境の変化に対応するため、板橋、世田谷、北足立、多摩ニュータウン、葛西(江東市場3分場を整理、統合)、大田(神田、荏原および蒲田分場、大森から移転)の各市場が開設され、現在では11市場で市場活動を行なっています。

江東市場竣工開業式場(昭和10年)

当時のせりの様子
●現代の市場
昭和63年、東京都中央卸売市場で初めて北足立市場に「花き部」が併設されて以降、大田(平成2年)、板橋(平成5年)、葛西(平成7年)の4市場にも併設して設置されました。東京都中央卸売市場は、江戸〜東京の食文化を支えるとともに、巨大都市東京の食を守るために、近代的な市場の整備を行ってきました。東京都はこれからも、生活者・消費者である都民の視点に立って市場の整備をさらに進め、豊かな都民生活の実現を目指していきます。

東京都中央卸売市場 築地市場

東京都中央卸売市場 大田市場
●これからの市場
近年、卸売市場を取り巻く環境は大きく変化しています。東京都の卸売市場は、首都圏における集散市場としての役割を担っていますが、早急に取り組まなければならない課題を多く抱えていて、生産と消費の両ニーズに的確に対応した変革が求められています。 将来にわたって豊富で新鮮な生鮮食料品をこれからも安定供給するために、卸売市場整備計画に基づき着実に、食の安全・安心への取り組みや、効率的な物流の実現、周辺環境への配慮など、公の施設として都民の期待に応えられる卸売市場を目指しています。
- ●豊洲新市場建設について
東京都では、豊洲新市場を、50年先まで見据えた新たな首都圏の基幹市場として、平成26年度中に開場させるため、整備に取り組んでまいります。
詳しくは、こちらをごらんください。
●東京都卸売市場整備計画について
生鮮食料品等の円滑な供給の確保による、消費生活の安全のために、国が定める「卸売市場整備基本計画」と「中央卸売市場整備計画」に即して卸売市場整備計画を定めて、卸売市場の整備を計画的に実施しています。
第8次(平成17年度〜平成22年度)
策定 平成17年11月18日
変更 平成18年11月21日

年表
| 昭和 | 10年 |
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| 15年 |
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| 16年 |
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| 20年 |
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| 21年 |
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| 24年 |
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| 26年 |
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| 29年 |
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| 30年 |
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| 32年 |
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| 34年 |
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| 36年 |
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| 37年 |
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| 39年 |
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| 41年 |
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| 47年 |
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| 54年 |
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| 58年 |
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| 59年 |
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| 63年 |
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| 平成 | 元年 |
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| 2年 |
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| 5年 |
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| 7年 |
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| 13年 |
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| 15年 |
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| 20年 |
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