東京都中央卸売市場
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築地市場の沿革
1 築地市場の開場
 築地市場(注1)の建設は、大正12年9月1日に発生した関東大震災によって、東京市(注2)の市内にあった民営の日本橋魚市場を初め、他の魚市場や青果市場が焼失したため、復興事業の一環として市議会の議決を経て、東京市の中央卸売市場建設計画(第1次)の中で決定された。
 この計画に基づき、東京市が、市場用地については国有地(当時の海軍省技術研究所、海軍学校跡地)の買収や、公有水面埋立の権利を取得し、昭和3年3月から埋立工事に着工して以来、3年3ヵ月を費やして各所の埋立及び敷地の整地を完了した(敷地総面積 196,729u、うち埋立地16,631.4u)。
 また、建物等の建設工事は、昭和5年12月から同8年4月にかけて冷蔵庫、製氷工場、仲買人売場、バナナ発酵室、汐留貨物駅からの鉄道引込線(2,710m)(注3)等の工事に着工した。これらの施設は延床面積69,422uで、昭和9年8月に完成した。
 築地市場の業者は、震災で焼失した日本橋魚市場(現在の中央区日本橋付近)(注4)及び俗に大根河岸といわれた京橋青物市場(現在の中央区八重洲・京橋付近)などに多数いた卸問屋や仲買人を収容することにしたが、卸問屋の合併問題や、中央卸売市場の卸売業者の単複問題(1社か複数社とするかの意見の対立)をめぐって調整に時間を要したため、解決した部から業者収容を行うこととした。昭和9年9月、魚類部(注5)の淡水魚を扱う卸売業者1社、鳥類部及び鳥卵部の卸売業者各1社の計3社の業務許可申請に基づき仮営業を開始し、続いて昭和10年2月、青果部の卸売業者2社の業務許可申請により5社をもって同年2月11日、正式に業務を開始した。
 紛糾を続けた魚類部は、昭和10年6月に1社、同年11月に2社と業務許可申請があり、これによって所定の卸売業者全部の収容を行った。また仲卸業者(魚類部 1,379人、青果部 247人、漬物・その他46人)及び関連事業者(注6) 487人についても、卸売業者と並行して日本橋魚市場及び京橋青物市場等の問屋、仲買人その他の関係者等の中から収容を行った。
 以上のような業者収容の経緯を経て、水産物、青果物、つけ物及び鳥卵等を取り扱う総合市場として本格的な取引を開始した。
 しかし、昭和12年7月、日華事変が起き、これをきっかけに統制経済に突入し、昭和16年10月仲買人制度を廃止して市場が配給機関に変わるなど、市場機能が大きく変化した。このため、開場以後、昭和16年まで順調に増加していた入荷量が激減し、終戦の昭和20年には、開場時に比べ、水産物は約5分の1に、青果物は約半分程度に落ち込んだ。

注1 築地市場施設の名称を、開設当初から昭和46年12月末日までは「本場」と称した。なお、開設者である東京都の組織は、昭和46年6月17日付で機構改革を行い、全市場の統括的機能を持つ中央卸売市場と事業所機能を担当する築地市場に分離した。
注2 昭和18年7月1日、都制の施行により東京市は東京都となった。
注3 昭和62年1月31日に廃線となった。
注4 日本橋魚市場は、大正12年9月17日、大震災によって焼失した施設の復旧が禁止されたため、魚市場組合が芝浦埋立地 6,600u余を借受け、テント張りの市場を急造し営業を開始し、その後同年12月1日から東京市が築地(現在地の一部)に設置した「臨時市設魚市場」に移転し、中央卸売市場が開場するまで、同地で営業を行った。
注5 取扱品目の区分は、昭和24年2月から生鮮水産物、加工水産物、青果部、漬物部及び鳥卵部の5部となり、さらに現行の卸売市場法(昭和46年法律第35号)の施行によって、市場条例が全面改正され、昭和47年1月1日から卸売業者の品目拡大を図る目的により水産物部及び青果部の2部に統合された。ただし、築地市場においては規則で定める期間は、「加工水産物部、漬物部及び鳥卵部」の3部の卸売業者は、そのままの部の区分に属することとした。なお、平成9年3月の条例改正により、加工水産物部は廃止された。
注6 卸売業者及び仲卸業者の名称は、昭和46年7月の卸売市場法の施行までは「卸売人」、「仲買人」と称した。また関連事業者の名称は、昭和46年12月までは「付属営業人」と、昭和56年3月までは「市場サービス業者」と称した。

2 築地市場の復興
 終戦後は、取扱量が徐々に増加し、昭和22年10月の果実から昭和25年3月のにしん・いわし等大衆魚を最後に、全品目が統制撤廃となり、これと並行して各部に仲買人制度が復活し、市場機能が回復したことから、昭和25年には開場当時を超える取扱量となった。
 統制撤廃後の卸売業者は、統制時代の荷受機関を市場の卸売業者として許可したため、卸売業者が多数となり、特に水産関係の卸売業者は、集荷競争が熾烈化し、経営悪化や仕切金の決済を渋滞させるものも生じてきた。
 このため昭和26年1月、卸売業者の整備方針を定め、昭和30年11月までに、19社を現行の7社に整理・統合した。また、青果関係については、水産関係の卸売業者の場合と異なり、自主的な合同又は廃止により、4社に整理・統合された。(平成14年に統合があり現在は3社)
 仲卸業者については、昭和38年7月、消費者価格の上昇傾向の中で生鮮食料品の値上がりが著しいことから、「生鮮食料品流通改善対策要綱」が閣議で決定され、同要綱に定められた諸施策の実施が求められたため、その一つとして経営規模の拡大と業務の合理化を図り、流通経費の節減に寄与させるため、合併による法人化等を推進した。

3 築地市場の施設整備
 昭和30年になると、取扱量は開場当時に比べ、水産物が 2.1倍、青果物及びその他が 1.2倍になり水産物が飛躍的な増加を示したが、取扱量の増大と生鮮食料品の輸送用トラック及び買出車両等の増加により、狭隘の度を一層増し、市場施設の整備が緊急課題となった。
 また、昭和30年3月には、進駐軍に接収されていた広大な施設(築地市場全施設の約4分の1)がすべて返還されたことから、施設配置の変更を含めた整備事業に着手することができるようになった。
 昭和31年から昭和36年にかけて、水産・青果両部の本館3階事務所の増築を初め、現在の関連事業者営業所、運送荷扱所、たこ加工場、買荷保管所等を建設・整備した。
 昭和37年から昭和39年にかけて、移転した買荷保管所跡地に、水産物部仲卸売場( 488店舗10,180u・屋上は 500台収容の駐車場)の増築、青果部別館事務所(延 1,998u 4階建て)を建設・整備した。
 以上のように施設整備を実施したことによって、当面の施設不足の解消を図るとともにモータリゼーションに対応した施設配置が一部実現した。
 また、この頃になると、冷凍水産物の入荷が大幅に増加して、市場の貯・冷蔵能力(収容能力)や鮮度保持に必要な氷の生産能力が、都有の冷蔵庫だけでは対処できなくなったため、卸売業者及び仲卸組合に、場内の都有地に民有冷蔵庫の建設を許可した。その結果、卸売業者関係5棟及び仲卸組合1棟の冷蔵庫がそれぞれ建設され、低温流通の先鞭をつけた。
 昭和40年代は、入荷量及び買出車両の増加対策として、卸売場の立体化と拡張(1階売場・2階せり場・屋上駐車場)、取引の合理化を図るための機械化(入荷量表示装置・せり値表示装置・特高受電所増設等)、低温流通対策の定温倉庫及び卸売場、旧海軍経理学校跡地(拡張用地)の整備と卸売場建設、老朽化した諸施設の改良・改修(水産仲卸売場・都冷蔵庫・汚水排水管路)、厚生会館の建設など、市場施設・設備の整備拡充が図られた。
 昭和50年代は、青果部仲卸売場の建て替えによる立体化(1階店舗・中2階事務室・屋上駐車場)を初め、水産物部の立体駐車場(8階9層延23,312u 875台収容)、低温卸売場(延 4,583u)、塩干物冷蔵庫(延 1,781u 収容能力1,000t)、水産物卸売場立体化(延 4,017u)、第二低温卸売場事務所(延 3,035u)、都冷蔵庫(能力 冷蔵2,633t・製氷 30t/日・貯氷 60t)、その他の新設、増設、改修などが行われた。

4 築地市場の再整備
 昭和60年代に入って、施設の老朽化・過密化が著しくなったため、築地市場再整備推進委員会(市場長の諮問機関)の答申に基づき、昭和63年に基本計画、平成2年に基本設計を策定し、再整備事業を推進していくこととなった。
 工事は、正門仮設駐車場の建設から始まり、築地川本川仮設搬出入路、仮設卸売場A・B・C棟、仮設関連営業所と順次進み、また、築地川東支川を埋め立てて市場用地として確保した。そして、平成7年12月には、最初の本格工事である「勝どき門駐車場」が完成した。
 しかし、平成8年4月、東京都卸売市場審議会から、「工期の短縮及び建設コストの縮減等の視点から、現行基本計画の見直しを行う必要がある」との第6次東京都卸売市場整備基本方針が答申され、この答申を踏まえて、平成8年11月、第6次東京都卸売市場整備計画が策定され、この中で築地市場については「健全な財政計画に基づき、@工期の短縮、A建設コストの縮減を図り、B基幹市場としての機能を維持していくため、流通環境の変化に対応したより効率的で使いやすい市場とする視点から見直しを行う」こととした。
 業界からは臨海部への移転可能性の検討を求める要望書が提出されるなど、移転整備への機運が高まる中、平成11年2月から再開されていた築地市場再整備推進協議会において「現在地再整備」、「移転整備」についてあらゆる角度から比較検討した結果、同11月、「現在地再整備」の困難性が確認され、「移転整備へと方向転換すべき」との「検討のとりまとめ」をした。

5 豊洲新市場の建設
 平成13年4月18日開催の第55回東京都卸売市場審議会「答申」の中で、築地市場の整備計画については、「早急に豊洲地区を候補地として移転整備に向けた検討を進めるべきである。さらに、移転するまでの間、現在地の市場の機能を維持し、流通の変化に対応するための整備が必要である。」とされた。
 平成13年7月開催の築地市場再整備推進協議会において、@移転までの築地市場整備方法の進め方、A新市場の基本計画づくりの手法と手順(案)を説明し、了承されるとともに、同月には築地市場の豊洲移転に関する東京都と東京ガス(豊洲地区の地権者)との基本合意がなされた。
 平成13年12月の東京都卸売市場整備計画(第7次)において、築地市場の豊洲地区移転を決定し、平成15年5月に策定した「豊洲新市場基本構想」を踏まえ、平成16年7月に「豊洲新市場基本計画」を策定した。
 平成17年3月には、農林水産大臣が定める中央卸売市場整備計画において、新市場を豊洲地区に整備し、それに伴い築地市場を廃止することが明記された。
 平成17年4月に東京都卸売市場審議会より答申された東京都卸売市場整備基本方針を踏まえ、平成17年11月に策定した東京都卸売市場整備計画(第8次)において、豊洲新市場を新たに位置づけ、平成24年度開場を目途に整備することとした。    


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